オンライン読書会:N.T.ライト『シンプリー・グッドニュース』第4回 報告

2020年5月11日(月)21時から22時まで、N・T・ライト『シンプリー・グッドニュース』読書会を行いました。参加者は8名でした。

まず参加者の感想抜粋を掲載します。

  • イエスの死と復活に対する考え方がおかしくなったのが、啓蒙主義以降じゃないかという指摘かと思った。
  • ライトは啓蒙主義と合理主義によって歴史が変わったから、福音の説明が変わってしまったという理解をしているのだと思う。彼はバイオロゴス、創造論に反対するクリスチャンの集まりにライトは出ているので啓蒙主義と合理主義を否定はしていないのではないか?
  • キリスト教がなぜ歪んでしまったかという理由のひとつとして啓蒙主義をあげている。
  • 啓蒙主義と合理主義が人類に与えた正の遺産についても述べていたらバランスがよかったかもしれない。
  • 世俗主義者は合理的に考えて信仰のリアリティ/感情を端折りすぎている、原理主義者は逆に自分たちは救われて感情が行き過ぎている、罪から解放されていない人たちを下に見ているのが問題じゃないかと。どちらも行き過ぎてしまうと正しい、ライトが言うところの福音を語っていないという指摘だと思う。
  • 世俗主義の反動として原理主義が出てきて、聖書も合理的に説明できるはずだというふうになり、キリスト教はこれが事実だから信じなさいという風になったのが問題ではないかということがしっくりきた。
  • ファンダメンタリズムはアメリカからきた言葉で、自分たちは原理主義だと誇りを持って言うようになって出てきた。イスラム原理主義などでネガティブな印象、最初のクリスチャンたちが言い出した時は誇らしい表現だったはず。
  • そもそも二極化という語り方自体が、古いのではないかと思った。性別二元論もだし、今回の原理主義ー世俗主義、合理主義ーロマン主義という枠組みでの考え方自体が、ライト自身が近代から抜け出せていない語り方に見える。
  • 漠然と説明しておられるので、理解しにくいと感じる。わかりやすい図式を提示しているように思えなかった。
  • これはいわゆるファンダメンタルな立場の人たちに向けて書かれているのではないか。LGBTなどについての立場をはっきりさせないのも、立場を追われる可能性がありぼやかしているのではないか
  • 福音書の内容が信頼するに足りるかとういう部分についても、ぼやかしている感じのものを感じた。
  • すごくややこしい書き方をされる人だなあという印象、1章から。なぜそんな書き方をするのか、というのをLGBTに関する説明などで聞いて、そうなのかなと思った。「〇〇主義」がピンとこない。二元論で語るのが古いというのも、わかる。
  • ライトさん自身がモジモジしている、対象としている人にわかってもらいたいけれど、自分の地位を失いたくないというようなことで奥歯に物が挟まった物の言い方ではないか。ものの考え方の枠組みが古いのではないかという指摘はそうなのではないか。
  • 福音派はそんなにLGBTに対して酷いんだろうか?
  • 福音派でもリベラルでもひどい人は酷いし、出会ってみて、その人それぞれではないか。

今回の発表では4章の内容だけではなく、発表者がたまたま見つけて視聴した動画の内容についても触れたので、LGBTの話などが出てきました。その動画はこちら。

NT Wright: “Simply Good News” | Talks at Google
https://youtu.be/cEIjaHOcGFc

N.T.ライトがグーグルのイベントで『シンプリーグッドニュース』をテーマに語っているものです。発表者が指摘したのは、講演の後の質疑応答で女性が自国の同性婚の話に触れた時に、その応答でそれには触れないで次の質問に流した部分です。彼は4章の中で18世紀以降の啓蒙主義や合理主義の考え方が「福音」と競合し、「福音」を歪めてしまったと語りますが、啓蒙主義や合理主義によって開かれた聖書解釈のおかげで解放された「白人男性異性愛者」以外の人達への言及がまったくないのです。同性愛者の当事者であるわたしにとっては、啓蒙主義や合理主義の考え方によって聖書解釈が刷新され、黒人、女性、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの貧困層やLGBTが、18世紀以降にやっと、主に白人男性の権力のもとに行われた植民地支配や人種差別、女性差別、異性愛主義強制の抑圧から解放されたことは非常に重要です。しかし、動画でも4章でも、そのような社会的弱者の苦難の歴史と現実に対する啓蒙主義や合理主義の功績について、ライトは語りません。白人男性異性愛者であり教授になれるほどの教育の機会を享受できる特権階級にある彼は、「語らなくて済む神学者」なのだなあという印象を受けました。以下、4章の内容のメモを掲載しておきます。分量が51ページあったので少し長いです。

4章 歪められた福音、競合する福音 Distorted and Competing Gospels

  • 福音書の記述は、基本的には歴史的事実として信頼可能であるという立場から福音について考えている章である。
  • ただし、歴史上のイエスについて確実に言えることは、当時の人々にとって(またおそらく私たちにとっても)説得力があるのだが、不可解な人物だったということのみ。
  • イエスが告知した地上の王制とは異なる種類の「王国」の王である神は、愛の神だが、その告知を歪め矮小化している原因が3つある。主に1つ目の福音の伝え方について分量をとって説明している。

3章までの事柄が「本当」なのか?という問いから始まる。古代の文書について実際に行ったり語ったりしたことはわからないので、なぜ、世界を実際に変えた「出来事」といえるのか?という問い。

福音書は信頼できるか?(p. 102

自然科学は、実験、観察、臨床試験を通して再現可能な事柄を研究

歴史学は、再現不可能な事柄を証拠に基づき、証拠が生じる原因となったものについて確実性の高い説明を追求

どちらも仮説と検証によって行われる

証拠、出来事が意味を成す大きな全体図、証拠、修正、やり直しの繰り返し

イエスが生き、神の王国を告知し、神の王国について根本的な再定義を行ったことは歴史的事実(p. 105-107)

それ以外の教えや治癒行為は広い意味で史実と受け入れることができる(ここでは詳細に触れない)

福音書記者は、イエスに接した人々が、自分たちが期待していたとおりにならなかったという記録を残している

イエスが良い知らせを告知した当時は多くの人々の期待とかけ離れており、理解されなかった

福音書記者の記述の仕方と記述内容のどちらも奇妙だ、だからこそ??、歴史的事実であると証明できる

イエスについて確実にわかっていること 人々がイエスは説得力があると思っていたと同時に不可解な存在だと感じていた(p. 109)

異なる種類の王国(p. 110

ここでは、「王」という言葉で古代・現代の王制を議論しない

力は、奉仕、とりわけ自己犠牲を通して与えられる「当時の人々に誤解されるかもしれない明らかなリスクを冒してまでも、イエスが「王国」について語り続けたのは、彼が通常の種類の王国をまったく異なる種類のもので置き換えたいと願っていたからなのです。」(p. 111 )

良い知らせの確信は「別種の力に基づく別種の支配」イエスの良い知らせの肝心な点「唯一の真の神は暴君ではない」

「世界の主導権を握った神は、まったき、自己犠牲的な、惜しみない、寛容な愛の神である」(p.112)

良い知らせの概念を把握する3つの妨げ

  • 1 教会の過去1000年の方法論(福音の伝え方)
  • 2 現代の西洋文化の教会への影響
  • 3 過去2世紀の西洋文化の信念

良い知らせが悪い知らせに(p.114

キリスト教の本質は何か、という問題 多くの人がキリスト教を宗教・救い・道徳のシステムと考えていること

このシステムは、人間は罪人で死に値する、イエスが罪人の身代わりとなり死んだ、それゆえ彼を信じるなら天国に行くことができる、というもの。多くの教会が福音を述べ伝えるという時この主張を繰り返し説明し例証することしか意味していない。(p. 115)

イエスの死にはより多くの意味があり、福音にはイエスの死よりも多くの意味がある(p. 116)

「イエスの死ーメシアが人間の罪のために死んだ」にいたるまでの「コンテクスト」の欠如が問題(p. 117-120)

あるいは、この福音の中心の断片を間違ったコンテクストに挿入していることが問題(p. 121)

神が人間の罪のゆえに怒りを燃やしている、神には人間を罰する権利と義務がある、人間はそれを知らなくても永遠の地獄の苦しみに定められている、ところが神はたまたま全く罪のない誰かにその怒りを向けたそれは彼の息子だった!神の怒りは鎮められ人間は恐ろしい運命に直面しなくてよくなった。私たちは安泰。これが、間違ったコンテクスト。

なぜ間違いか?

  • 創造と契約の神は、試練やトラブルの中で人を導く神
  • 神は愛の神 しかし、誰かを罰そうと決意していたけれど、たまたま自分の息子をその代わりに選んだ怒りの神の話では、神の自己犠牲的な、情け深い、若いと癒やしと回復をもたらす愛はわからない

パウロのローマ書の説明は間違いなの?

パウロが言っていること(p. 123-129)

1)神の怒りは神の愛の影の部分

2)アブラハムとその家族との契約の成就がイエスの到来

3)Iコリント15章で福音を要約

聖書のナラティヴ(物語)全体がイエスの死と復活に目を向けているという意味であり、単にそれを証明する聖句がたくさんあるという意味ではない

パウロは、神は怒ってるけれど私たちを天国に入れてくれるかもという物語でなく、被造物世界を刷新するために契約を結ばれた神が、その約束を果たしたという物語の中にイエスを位置づけている

4)パウロにとっての福音の物語は、犠牲というよりむしろ戴冠式に近い

パウロは福音を要約する時「メシア」と言っている、イエスの死について全く強調していない(ローマ1:3-4)

パウロの手紙はイエスが支配を確立することが主題、イエスの死はその支配がどのようになされるかについての中心部分

全体図:神の愛、神の契約、世界全体の廃棄ではなく完成についての神の計画、世界の正当な王、王としてのイエスの戴冠

この全体図が歪められてしまった。怒りっぽく暴力的な父親のもとで育った人々にとって怒りの神はむしろ馴染みがあるかもしれない。神は必要ないという結論に達してしまうかもしれない。

一方、矮小化され歪められた福音を伝える側は、否定的な反応に慣れてしまっており、「十字架がもたらすつまずき」だという。

問題1 過去1000年間の教会の方法論:暴力的な神のイメージが間違った全体図によって繰り返し語られ続けている

合理主義とロマン主義という、競合する福音(p. 134

18世紀の、神と世界が分離した哲学(ルソーやジェファーソン)神は階上においやられた。個人的敬虔と将来の天国行きがキリスト教になってしまった。過去400年間は、世界は複雑だが完結したシステムと信じられており、宇宙は神によって与えられたという感覚があった。啓蒙主義によってこの感覚が引き裂かれた。神は霊的領域/人間は世界に関する領域(金儲け、権力、土地を征服)

キリスト教には霊的領域しか残らなかった(p. 137)

原理主義者は階上に、世俗主義者は階下に、分割されてしまった(p. 138)

この図式の2つの欠陥 合理主義とロマン主義

合理主義は何でも理性に基づき証明可能だとし、ロマン主義者は心が燃えるのを感じて信じようと言うだけ(p. 142)

問題2 哲学によって世界が分割されたのと同じようにキリスト教世界も分割されてしまい、どちらの立場も極端である

現代世界における競合する「福音」(p. 145

18世紀末以来、民主主義が世界の一大転機だと広く考えられるようになった、自分たちが自己決定権を持ち国を動かすことができるようになった、これは正しいことだという世界になった。このような単純な考え方が現代の西洋諸国のお粗末な対応だ。現代の西洋世界に住む大多数の人々が、人類史の一大転機は近代西洋世界の勃興とともに興ったことを自明の理と考えている。それ以前の事柄が時代遅れと思っている。(p. 146)

問題3 18世紀の科学技術の進歩や政治的改革は、劇的な変化だったが、人類史における唯一の最重要な転回点だったと考えるのはキリスト教の主張とぶつかる。

イエスの死と復活を通してイエスが告知した王国が開始されたことが良い知らせこそが、歴史の究極的な転回点。これは、18世紀の啓蒙主義が究極的な転回点と考えることと両立しない。(p. 150)

読んだ後の発表者の疑問

  • 合理主義とロマン主義による世界の分離についてはそうかもしれないが、結局それと競合してキリスト教会が敗北したということを示しているだけではないか?
  • 18世紀に起きた啓蒙主義が全部悪いかのような3番目の問題提起は短絡的ではないだろうか?啓蒙主義や合理主義の弊害をもう少し具体的にあげてほしい。
  • いわゆる新正統主義神学は第一次世界大戦、第二次世界大戦の大きな苦難を経ての経験から人間の罪と神の支配というようになったはずだが、ライトも基本的にはその立場なのだろうか?
  • 啓蒙主義、合理主義による理性の働きによって読み直された聖書解釈が黒人、女性、LGBTを解放したことの功績は大きいはずだがそのことは語られない。
  • ここまでの章だと、「昭和時代はよかった」(18世紀まではよかった)と言ってるオッサンのように見えてしまう。
  • 21世紀、インターネットが世界中に普及し交通網が発展した、さらなる世界的転回点を迎えたような時代に生きる若者に、18世紀が間違っていたと言っただけで、「福音」が届くのだろうか?

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