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わたしたちは一人ひとり違う意見を持ってますよね。「この人と私は全く同じ意見だ」と思うことはあっても、そこには必ずニュアンスやその考えに至った背景違いがあります。
違う意見があるのですから、お互いに意見が受け入れられなかったり、それが批判につながることも当然です。
キリスト教文化では、特にそのことが嫌われるようです。
「〇〇さんは〇〇さんを批判するけど、裁くのはよくないよね。」といったことを言う人は多くいます。しかし、それは本当でしょうか?
田舎牧師さんは、このような意見をつぶやいています。
「批判=裁き」と捉えると、それぞれ異なる考えを持つわたしたちは何の対話もできなくなってしまいます。その原因について、田舎牧師さんはこのように説明します。
わたしたちは間違いも勘違いも起こします。そのためにも他の人の見方を聞いたり、話し合いをして理解を深めることも必要です。
意見が衝突することがあっても、お互いが「許せない」と言う状態に陥ったり、あるいは「あいつは何があっても許されてはいけない」と思うようなことがあったら、要注意なのかもしれません。
誰もが、いつでも、方向転換できる世界でありますように!
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