下世話なQ&A「リベラルって何ですか?」

Q:クリスチャンでTwitterをしています。時々「これだからリベラルはダメだ」とか「リベラルにありがちな愚劣な意見」という書き込みを見るのですが、リベラルな傾向のあるクリスチャンというのはアホなんですか? リベラルなクリスチャンと仲良くすると信仰が薄れたり、神を冒涜したりするようになるのですか?

A: 全部ウソです。

▼「リベラル」とは

「リベラル」というのは「自由主義的な」という意味の英語です(liberal)。
宗教や政治における思想の傾向を指す言葉です。
リベラルの反対は、「保守主義的な」ということになるのですが、英語ではコンサヴァティヴ(conservative)といって、日本では「コンサバ」と省略して呼ばれることもあります。
日本のキリスト教の中では、この「リベラル」と「コンサバ」または「保守派」がよく対立していると言われます。海外では必ずしも、もはや「リベラル」という呼び方さえもされず、「進歩的」(progressive)とか「新進の」(emerging)という言葉が使われるようになってきていますが、日本ではまだ、新しい考え方をしようとする人は十把一絡げに保守派から「リベラル」と言って揶揄されることが多いです。

▼リベラルと保守

 実際には日本のような狭い社会でもキリスト教は多様に枝分かれしているので、「リベラル」と「保守」という具合に2つにはっきりと線引きできない部分もあるのですが、それではわかりにくいので、一応便宜上、この2つの典型的な特徴を分けて説明してみます。
 まず、リベラルというのは、「自由主義的な」という訳の通り、人間の自由を非常に重要視します。
 それに対して、保守というのは、「人間中心であってはいけない(神が中心だ)」ということを強調します。
 もっと具体的なところに踏み込んでみると、例えばリベラルなクリスチャンは、「聖書は人間が書いた本だ」と考えます。それは確かに神について多くの人が証言した大切な本(キリスト教において最も大切な正典)だけれども、聖書が神の言葉そのものだという考え方はしません。基本的には近現代以降発達した科学的なものの見方、考え方を大切にします。
 それに対して、保守的なクリスチャンは、「聖書は神の霊感によって書かれた本だ」と主張します。確かに人間が紙(古代のパピルスなど)にインクで書いたものには違いないが、筆者は神の霊感を受けて、その通りに書いたので、それは神の言葉そのものだと考えます。そして、科学よりも聖書に書いてあることの方が正しいのだと思っています。
 また、社会との関わりに着目すると、リベラル・クリスチャンにとっては人間の尊厳や平和がとても大事ですから、神が人間を愛してくださっていることを確信して、信仰を根拠にして人権運動・反戦運動に熱心に取り組む人が多いです。
 それに対して、保守的クリスチャンは人間よりも神の方が大事ですから、社会的な運動に深く関わることに非常に否定的です。そして、リベラルなクリスチャンのことを「人間中心的」、「ヒューマニズム」、「社会派」、「『世』に媚びている」、「『世』のことを大事にしすぎて、教会や礼拝をないがしろにしている」と叩く傾向が強いです。

▼非合理的なクリスチャンが多いわけ

 日本では、どちらかというと保守的なクリスチャンが多いように私には感じます。リベラルは少数派です。人間中心的・ヒューマニズム的なというと、現代人には歓迎されそうですが、実は日本人クリスチャンにはさほどリベラルな人は多くありません。
 それはなぜなのか、はっきりと調査した結果ではありませんが、どうやら今のところ日本には、「この世には科学的な合理主義を超えたものがあるはずだ」という人が少数派ではあるものの一定数いて、そういう人がキリスト教だけではなく、様々な宗教に入信する傾向があり、自由主義的で合理主義的な(と自分で思っている)人は、そもそも宗教に近づかない、という風潮にあるような気がします。
 自覚的に信仰を告白して宗教団体に入信する人は、そもそも日本では少数派ですが、その少数派の中身の大半は、非合理的で科学を無視した思考法を愛する人たちだ、というのが、しばらく教会生活をやってきた、1人のリベラルなクリスチャンの感想です。
 また、日本人一般には「合理主義的で科学的な思考をする宗教の信者はいない」と思っている人がほとんどですので、リベラルなクリスチャンの存在自体知らない人が多いでしょう。
 けれども、自由を愛し、人間を大切にしたい、それは神が人間を愛しているから、と信じるクリスチャンも世の中にはいるのだな、と1人でも多くの人に知っていただければ嬉しいなと思っています。

(執筆者:富田正樹)

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