読書会の第1回は、本書の1章「何についての知らせか」を読んで話し合いました。1章の内容を簡単に纏めると、福音が「良い知らせ=グッドニュース」であるからには、物語に何かの大きな背景があり、新しく予想外なことが起きたことが前提にないといけない、そして我々がその「福音」を理解するためには、福音の「バックストーリーを知る必要がある」というものでした。
その福音とは、何かが起こったことによってこれから何もかもが変わるようなニュースであり、「安心して元通りの生活に戻ろう」とはならず、新しい時代の幕開けを知らせるものです。
しかし、ほとんどの教会では、福音が「知らせ」から「アドバイス」に変わってしまっているとライトは指摘します。こういう生活をすればいい、こういうことをしてはいけない、こうすれば地獄ではなく天国へ行ける、という類いのものに変わっています。特に「天国と地獄」の構図は、どれだけ人気のある「福音」の語り口であっても、聖書が語る「良い知らせ」からは酷く歪められたメッセージだとライトは断言します。
西方の教会は、そのバックストーリーを見落としているが為に、福音の内容だけでなく、その誤解が神との関係や、未来起きること、教会のあり方、弟子としての責務など、多岐に渡る神学的議論に影響しています。特に、イエスは普段使われる死後の場所という意味での「天国」はほとんど語っておらず、天が地に訪れることをたくさん語っています。しかしこれが教会で語られることはほぼありません。
イエスが生まれる数十年前に、皇帝アウグストゥスが、ユリウス暗殺後の混乱の中でライバルを次々と倒し、ローマ帝国を一つに纏めました。これが「良い知らせ」として国中に伝えられます。多くの人はこれから平和と繁栄の時代が訪れると皆が思いました。ただ、人によっては(アウグストゥスにかつて歯向かった人など)グッドニュースとは言い切れず、その場を乗り切るために行動を起こす必要がある人もいました。初期のキリスト教は、これと同じように「良い知らせ」を伝えていき、それに対して様々が反応がありました。
福音を理解するには、イエスは現実の時間と空間、歴史の中で実際に生きて死んだ人物であることを覚えるが大切です。そして、イエスのメッセージは現実世界からの天国への脱出ではなく、神がこの世界を根底から永久に変えつつあることの知らせだという大きなパラダイムシフトが求められます。
初回の読書会では、「福音」を教会で聞くときにどのように説明されてきたかをそれぞれ話しました。「神様があなたを愛している」という答えや「そもそも聞いたことがない」という答えもありました。やはり「そもそも福音とは何か」をしっかり考えて答えを提示している教会は少ないのかもしれません。
また、「天国・地獄」はイエスの福音メッセージの主要な部分ではないことをライトは言っていますが、やはり「死の問題」が動機でキリスト教(あるいは他の宗教)に興味を持つ人も実際にいる、という指摘がありました。死への恐怖から聖書に出会ったという証もありました。逆に、キリスト教は「死の問題の解決」よりは「生きるための力」だという考えも、入信の証と共に語られました。
次回は2章「愚かな知らせ、恥ずべき知らせ、それともよい知らせ?」について話し合います。時間のある方は是非ご参加下さい!
ケン・フォーセット
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