「感染症とイエス」(2020年5月3日(日)礼拝説き明かし)

 聖書の箇所……新約聖書・マルコによる福音書1章40−45節(重い皮膚病の人を癒す)

 かつてイエスが人々に恐れられていた感染症に対して、どのように立ち向かったのかを聖書を通して学んでみましょう。
 当時、ヘブライ語で「ツァラアト」(けがれやまい)と呼ばれ、感染者がひどい差別と排除を受けていた病気がありました。その感染者がイエスのところに来て、「お望みでしたら、私を清くすることがおできになります」とひざまずきます。するとイエスは断腸の思いでこの感染者を見て、「私は望む、清くなれ」と言います。
 イエスが感染を恐れていたか、またこの感染者に触れることでこの人と同じように差別されることを恐れていたかはわかりませんが、そんな思いよりも、イエスは「断腸の思い」まさに文字通り、内臓がちぎれるような心の痛みを愛を覚えて、この感染者の体をつかみ、「私はあなたに治ってほしい」と言葉を発したのです。
 瞬時に病気を治す奇跡が事実であったかどうかはともかく、この感染者が癒されたことは間違いありません。このツァラアトという病は、肉体的な苦しみだけではなく、社会からも地域からも家族からも忌み嫌われ、共同生活から追い出される孤独の苦しみを味わされる病なのです。
 誰からも相手にされず、神にも呪われ、生きるにも死ぬにも何も希望のない、この病を得た人に、イエスはソーシャル・ディスタンシングも一気に乗り越えて、そのほとばしる愛をぶつけたのでした。
 私たちも今、病にまつわる差別と憎悪の真っ只中に生きています。こんな中で正直に言って、自分自身の中にフラストレーションや怒りが溜まってくることも否定できません。しかし、こういう時だからこそ、私たち自身もイエスによって激しく愛されているのだということを思い出して、自分も愛することのできる人間に変えていただきたいと願うのです。

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