2020年5月4日(月)21時から、N・T・ライト『シンプリー・グッドニュース』読書会を行いました。
本日は第3章「王なるイエスについての驚くべき知らせ」を読みました。
イエスは「魅力的」だが魅力だけで言えば他の偉人とて同じこと、ほかの偉人とは違うのは「良い知らせ」を宣べ伝えたこと。
イエスは「新しい出エジプト」をもたらしたがそれは同時代の人たちが望んでいたような仕方ー革命であったり、世俗から離れることであったりということ、ではなかったこと。そのどちらにも組することなくオルタナティブな方法をとったこと、
イエスは「神の新しい世界」がどのようなものになるか示す「行動」を取り続けたこと。「どん底」の立場に置かれている人々が、「人生が逆転すること」を経験したこと。同時に、人々が期待する秩序を混乱させるものであったこと。
十字架は、悪の力に対する王の勝利であり、十字架によって悪そのものが裁かれたということ。復活が明らかにしていることは、十字架の上で悪そのものが断罪されたということ。イエスに対してなされた法的処罰は、悪そのものに対してなされたということ。
パウロはイエスの死は刑罰であり代償であると見ているが、神がイエスを罰したとは言っていないということ。
「良い知らせ」とは「唯一まことの神が、イエスとイエスの死および復活において、またそれらを通して、いまや世界の主導権を握られた」ということであり、「昔もいまも、これらすべてがイエスにおいて、イエスをとおして、すでに起こったということ」である。そして、「私たち人間は誰であっても一人のこらず、いまこの地におあて、この変革に飛び込むことができる」ということである。
そのようなことが記述されていました。
担当者から30分程度の要約発表ののち、参加者でわかちあいをおこないました。
「ライトは復活については具体的に記述するが、十字架の苦しみについては言及がうすい。」
「十字架につけられたから世界が救われたという言い方は短絡的すぎるのではないか」
「革命/世俗から逃れるという両極端な運動どちらに組するのではなく、イエスはオルタナティブを示した、ということをライトは指摘した。」
「パウロは復活の記述に女性のことはとりあげなかったが、四福音書の復活の記事で『女性たちの存在が復活している』ことを、ライトは地味に指摘している。」
「リアルなイエス、とは何か?」
「神がイエスを罰したのではない。悪そのものに死刑判決をくだした。というのは屁理屈のように感じる。」
「学問的理解と保守的な信仰を大切にするイギリスらしい記述のように感じる。」
「贖罪論と殉教をどう考えるか」
「志村けんさんの笑いを見返したが『性加害』がネタにされていることに気がついた。30年前は気がつかなかったこと。その間にそれだけ意識が変わっている。ましてや、2000年前と現代では隔たりがある。」
という趣旨の発言がなされました。
次回は、5月11日(月)21時から、4章「歪められた福音、競合する『福音』」をとりあげ、わかちあいます。
担当は玲奈さんです。
参加ご希望の方はぜひご一報ください。
時間までにZOOMのアドレスをお知らせします。
報告:爽歌*sayaka(第3回担当)
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