『シンプリー・グッドニュース』読書会も最終回。第8章「良い知らせを祈る」を読んでの発題と話し合いが持たれました。
【第8章の要約】
著者によれば、「良い知らせ」を体現した民となるには祈りが必要であり、その最も良い祈りが「主の祈り」であるとのことです。ところが私たちは、ともすれば日常の自分の祈りの中では、主の祈りの内容の順序とは逆の内容を祈ってしまいがちです。つまり、「御名が崇められますように」ではなく、「私を悪から救ってください!」から始めてしまうのです。
特に、私たちは「私をお赦しください」という祈りを優先しがちであり、この「罪の赦し」が「良い知らせ」の中心であると思いがちです。罪が赦されていれば、死んだ後天国に行けると思うからです。ある人々にとっては、それこそが「良い知らせ」です。しかし、実はそれは「良い知らせ」の中心ではないのです。
より大事なことは、「あなたの王国が来ますように……天におけるように地の上にも」ということであり、神の支配が地上にも実現することであり、これによって天と地が一つになることなのです。主の祈りを正しい順序で祈ることで、私たち自身が「良い知らせ」を学ぶことがとても大切なのです。
【話し合いの振り返り】
「主の祈り」を逆の順序から見直し、私たちの祈りを反省するというアイデアは画期的なものと感じられました。確かに私たちは、自分自身がまず自分の窮状から助けられることや、罪が赦されて天国に招かれることを真っ先に祈ってしまいがちです。
ただ、この章の中にある「(神の支配・統治が)天にあるように地の上にも」という主張と、最終的な結論である「救いや、癒しや、食糧よりも、まずは神が称えられることを求めよう」という主張は、やや矛盾があるようにも見受けられました。「天と地が一つになること」というスローガンと、「地上の具体的な助けよりも霊的な祈りを」という二元論は、相反するのではないかと思われました。
そのようなわけで、この『シンプリー・グッドニュース』という本を読み終わるわけですが、このN.T.ライトという著者の中途半端な神学的姿勢、特に白人男性インテリという立場を崩さない姿勢、また贖罪論の見直しやクィア神学などの最新の神学的動向を無視して保守的な話題に留まっている面があるなど、若干不満と歯切れの悪い読後感が残りました。
著者は英国(大英帝国:United Kingdom)の学者なのですが、この本の中では頻繁に「王国(Kingdom)」という言葉が使われるので、彼が「(神の/天の)王国」という言葉を使うときの、その「王国」のイメージは大英帝国の影響があるのではないかというメンバーからの指摘があったのは、面白かったです。
(ぼやき牧師 筆)
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