第5回の読書会は、第5章「天国再考」を要約発表と、それに基づいた意見交換という形で行われました。
【第5章の概要】
著者は、イエスに関する良い知らせが、クリスチャンのある人々によって「イエスは私たちを天国に連れて行ってくれる。そこで私は親しい人と再会し、イエスと共にいつまでも安楽に暮らしてゆける」というメッセージに解釈されていることを指摘し、それがとんでもない見当違いであると厳しく指摘しています。
イエスは主の祈りの中で「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈りました。またパウロが「私たちは天の市民です(天に市民権があります)」と言ったのは、天国行きの切符を持っているという意味ではありません。
そうではなく、イエスに関する良い知らせとは「新しい創造が始まった」ということであり、「神が被造物世界を更新しようとしている」、そして「私たちも神の意味で人間的になる」、つまり、この世における革新のことを指しているのです。
創造は神の1つのプロジェクトで、それはアダムとエバの反逆によって一旦は失敗に終わりました。しかし、イエスというメシアにおいて、神の民は復活するのです。これは、「死んだら天国に行ける」という個人的願望の問題ではなく、全被造物の更新という地球的な規模の話なのです。個人的な願望のみにこの良い知らせを矮小化することは、長期的に見て、有害な結果をもたらすでしょう。
【まとめ】
著者は、「救いは洗礼を受けることで、洗礼は天国行きの切符」というような福音理解をしている人に対して、そのような人がよく使いそうな飾り立てられたキリスト教的言葉遣いを多用しながら、その根本教義とも言えそうな「天国」思想を切り捨てています。
この本の最初から著者は何度か主張していますが、「良い知らせ」=「福音」というのは「あの世」のことではなく「この世」の変革のことです。そのことを著者は時間と言葉を費やして、懸命に説得にかかっているという印象を受けました。その意味では保守派とリベラル派の間に橋をかけようとしているのではないかという肯定的意見も出ました。
しかし他方、結局はN.T.ライトも白人男性エリート学者であり、保守とリベラルの橋渡しをするにしても、現代のクィア神学の欠片も感じられないし、何一つ新しいことを言っていない、発想が古すぎるのではないか、という指摘もありました。
報告者……富田正樹@ぼやき牧師
第6回読書会(第6章「間違った未来、間違った現在」)は2020年5月25日(月)に行われる予定です。ご参加を希望される方は、下記のメールアドレスまでお知らせください。
ixthuslab@gmail.com
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