「放蕩息子」のたとえ話をテーマとして、教会でメッセージを語りました。
これは、このサイトにおける、ふみなるさんの『依存症と「罪」の関係』という記事からインスピレーションを受けたものです。
このたとえ話における「放蕩息子」は、何らかの依存症を患っていた可能性があり、もしそうであれば、この人は救助や治療の対象であり、「罪人」だと言って責め立てても何にもならないということになります。
そのような視点から語られたメッセージであり、また他にも2点、このたとえ話の新しい読み方を提案していますので、ぜひお読みくださいますよう、お願いいたします。また、ページの中にライブ録画も埋め込んでありますので、そちらをご視聴いただいても結構です。
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