神の招き⑨「旧約の中の福音」

8月27日ツイキャス https://twitcasting.tv/kenfawcjp/movie/637251937

士師記とルツ記

現在「放浪から王政へ」という章で、イスラエル民族が荒野を彷徨っていた時代と、後に王国となった時代の間の時代の出来事を聖書箇所から取り上げています。先々週はヨシュア記から、先週は士師記から、そして今週は色々迷いましたが、ルツ記を中心に見ていきます。

先週は士師記を読みましたが、最後の19章の話は本当におぞましく、背筋が凍るような思いで読まれた方も多いのではないでしょうか?今日は、そこをもう一度読みます(全部ではありませんが)。それからルツ記を読んでいきます。

先週は聖書の中の女性差別を取り上げました。非常におぞましいミソジニーが溢れる中で、男性中心主義の社会の「当たり前」に一石を投じるような箇所も聖書にはたくさん出てきます。デボラもそうですし、新約聖書にもそのような箇所があります。中でも、ルツ記はその最たる例ではないでしょうか。

さらにルツ記はもう一つの「当たり前」に対抗します。こちらの「当たり前」の方が女性差別や父権制の問題よりも聖書を通して取り上げられているかもしれません。そこまで深く読まなくても「ああ、抵抗してる」て分かるような箇所が聖書にたくさんありますし、それも後程取り上げます。

ルツの話は、絶望的な状況にあった人が救われ、豊かな命を得、またその過程で当時の社会の「当たり前」とされていて構造に多分にチャレンジしていく物語で、「福音」と呼べる要素がたくさんにあります。「旧約の中の福音」と言えるのではないでしょうか。

士師記19章再読

では、まず士師記19章を振り返ります。

1 イスラエルに王がなかった時代のこと、ひとりのレビ人が、エフライムの山地の奥に滞在していた。この人は、そばめとして、ユダのベツレヘムからひとりの女をめとった。
2 ところが、そのそばめは彼をきらって、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの自分の父の家に行き、そこに四か月の間いた。
3 そこで、彼女の夫は、ねんごろに話をして彼女を引き戻すために、若い者と一くびきのろばを連れ、彼女のあとを追って出かけた。彼女の夫を自分の父の家に連れて入ったとき、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。

まずこの女性はツレヘムの出身だったことに注目したいです。ベツレヘムは、後にダビデの町と呼ばれます。イスラエルの偉大な王の町、そして勿論イエスが生まれた場所だとされています。でもここでは、結婚相手を嫌った自分勝手な「そばめ」が逃げり、夫が彼女を取り戻すために訪れた町です。

そばめと再会できたレビ人の男性は、自分の家へ戻ろうとしますが、そばめの父親に引き留められ、結局5日間もそこに滞在します。

10 その人は泊まりたくなかったので、立ち上がって出て行き、エブスすなわちエルサレムの向かい側にやって来た。鞍をつけた一くびきのいろばと彼のそばめとが、いっしょだった。
11 彼らがエブスの近くに来たとき、日は非常に低くなっていた。それで、若い者は主人に言った。「さあ、このエブス人の町に寄り道して、そこで一夜を明かしましょう。」
12 すると、彼の主人は言った。「私たちは、イスラエル人ではない外国人の町には立ち寄らない。さあ、ギブアまで進もう。」

なぜ立ち寄らないのでしょうか?ベツレヘムの近くの「エブス人の町」は一つしかありません。エルサレムです!士師時代には、イスラエルはまだエルサレムを勝ち取っていませんでした(IIサムエル記5章参照)。そこの住民はイスラエル人ではないからと言って、別の町に行くことにしました。町の人々は野蛮だから、悪人だからというのでしょうか?士師記も、そしてトーラ全体を通して、異国人は偶像崇拝者であり、様々な悪しき習慣を持っていて、彼らの道に行ってはいけないとずっと教えられています。このような「ゼノフォビア」がイスラエルに強く根付いていました。「選民思想」にも通じますし、今のクリスチャンの考え方にもそのような傾向があるかもしれません。

13 それから、彼は若い者に言った。「さあ、ギブアかラマのどちらかの地に着いて、そこで一夜を明かそう。」
14 こうして、彼らは進んで行った。彼らがベニヤミンに属するギブアの近くに来たとき、日は沈んだ。
15 彼らはギブアに行って泊まろうとして、そこに立ち寄り、町に入って行って、広場に座った。だれも彼らを迎えて家に泊めてくれる者がいなかったからである。

わざわざイスラエル人の住むギブアまで来て泊まろうとしましたが、結局誰も彼らを迎えてくれません。広場で待っていると、別の地方出身の老人が迎えてくれてもてなしてくれました。異邦人の町を排外的な理由から避けましたが、ギブアの人々たちが特別に優れた人たちでもないようです・・・

22 彼らが楽しんでいると、町の者で、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで、戸をたたき続けた。そして彼らは、その家の主人である老人に言った。「あなたの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」
23 そこで、家の主人であるその人は彼らのところに出て行って言った。「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。この人が私の家に入って後に、そんな恥ずべきことはしないでくれ。
24 ここに処女の私の娘と、あの人のそばめがいる。今、ふたりを連れ出すから、彼らをはずかしめて、あなたがたの好きなようにしなさい。あの人には、そのような恥ずべきことはしないでくれ。
25 しかし、人々は彼に聞こうとしなかった。そこで、その人は自分のそばめをつかんで、外の彼らのところへ出した。すると、彼らは彼女を犯して、夜通し、朝まで暴行を加え、夜が明けかかるころ彼女を放した。
26 夜明け前に、その女は自分の主人のいるその人の家の戸口に来て倒れ、明るくなるまでそこにいた。

最悪に酷い野蛮で暴力的な人々だったようです。これでせっかくベツレヘムまで迎えに行って取れ戻してきたそばめは命を落とします。ギブアの人々が勿論いちばん酷いですが、自分たちを守るために女性を身代わりに差し出したこのレビ人も家主の老人も酷いです。これを機に、イスラエルは内戦となり、ベニヤミン族は根絶やしにされます。しかし、生き残った僅かなベニヤミン族の男性を通して部族を立て直すために、他のイスラエル部族はまたまた残虐な殺戮行為や卑怯な手を使って女性を搾取するわけです(21章)。

ルツ記1章

では、そのような野蛮で残虐な士師記にはさようならをして、ルツ記を呼んでいきましょう。1章ずつ取り上げます。

1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした
2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
7 それで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、
9 あなたがたが、それぞれの夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけをしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」
14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
18 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。
19 それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。
20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
21 私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」
22 こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。

士師記19章では、ある女性が結婚した後に自分の意志で夫から離れ、ベツレヘムへ帰っていきます。その後が彼女を追いかけてやってきて、無理矢理連れ去ります。連れ去れらた後でも、守られるどころか自分の身を守るための生贄として暴虐的なギブアの町の人達に差し出され、命を失います。

ルツ記では、結婚したものの夫を失ったモアブ人の女性が、イスラエル人の姑に何度も「自分の母の家に帰りなさい」と言われたにも関わらず、自分の意志でベツレヘムまで行きます。そこで、どうなっていくでしょうか?

ルツ記2章

1 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
2 モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。
3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
4 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。
5 ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」
6 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。
7 彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
8 ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
9 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
12 主があなたのしたことに報いてくださいますように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
13 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」
14 食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、あまりを残しておいた。
15 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。
16 それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。
17 こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。
18 彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。
19 しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという人の所で働きました」と言った。
20 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」
21 モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない』と私におっしゃいました。」
22 ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」
23 それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。

ベツレヘムでの生活を始めたルツは、士師記19章の女性のように乱暴に扱われて男性のために都合よく使われるのではなく、ボアズというイスラエル人の男性に大切にされ「恥ずかしい思いをさせてはならない」(=彼女に淫らなことをしてはならない)といって守られます。

この後、ルツとナオミは自分たちの未来をさらに明るいものにするために一計を案じます。

ルツ記3章

1 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。
2 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。
3 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。
4 あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれるでしょう。」
5 ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」
6 こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。
7 ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。
8 夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。
9 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」
10 すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように、あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。
11 さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。
12 ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。
13 今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」
14 こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない」と思ったので、
15 「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。
16 彼女がしゅうとめのところへ行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、
17 言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」
18 しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」

「足」は男性器の婉曲表現としてよく使われていました。ここで実際にボアズとルツが性行為を行ったかについては見解が分かれるようですが、ルツがボアズに対し、自分を妻とすることで、身内としての役目を果たし、自分とナオミを救ってくれるように懇願していることが分かります。

イスラエルでは「ゴエール法」と呼ばれる法がありました。ある人やその家族が経済的に困窮して奴隷になるしかないような状態に陥った時、近親者はその人の土地を買い取り、既に奴隷になっている場合はその人や家族を買い戻さないといけません(レビ記25:48-49)。ボアズに、ゴエールとしての役目を果たすようにルツは迫っているわけです。

しかし、ボアズよりもルツの亡き夫のマーロンとその父エリメレクに近い近親者がいます。その人が望めば、その人がゴエールとなります。よって、ボアズはその人および町の他の人々に相談しなければなりません。

ルツ記4章

1 一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってください。」彼は立ち寄ってすわった。
2 それから、ボアズは、町の長老十人を招いて、「ここにおすわりください」と言ったので、彼らもすわった。
3 そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。
4 私はそれをあなたの耳に入れ、ここに座っている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、もしそれを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。」すると彼は言った。「私が買い戻しましょう。」
5 そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」
6 その買い戻しの権利のある親類の人は言った。「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。」
7 昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。
8 それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい」と言って、自分のはきものを脱いだ。
9 そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手からエリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。
10 さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはその証人です。」
11 すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげなさい。
12 また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」
13 こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
14 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
15 その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」
16 ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。
17 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その子をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
18 ペレツの家系は次のとおりである。ペレツの子はヘツロン、
19 ヘツロンの子はラム、ラムの子はアミナダブ、
20 アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、
21 サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、
22 オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。

話し合いの結果、本来ゴエールの権利を最優先に持っている近親者は買戻しを辞退します。理由は明確には分かりませんが、「ルツも妻としなければならない」とボアズが言った言葉で辞退したと考えられます。ルツと子供ができても、その子孫は彼の子孫ではなく、亡き夫のマーロンの子孫とされるからでしょうか?(レビラート婚、申命記25:5-6など)しかし、その後のダビデ王やイエスの系図にはマーロンではなくボアズが登場しているので、そうとは言えないかもしれません。ルツがモアブ人だったからでしょうか?そうかもしれません。モアブ人は主の宮には入れない汚れた者たちと見做されていたからです(申命記23:3)。

最終的には、ボアズと結婚し、そこからできた子供は、イスラエル史上最も偉大な王であるダビデ王の家系を生んでいきます。士師記では、一人の女性の自分の意志に基づく行為に対し、男たちのあまりにも酷い野蛮な数々の行為によって、イスラエルの一部族がほぼ完全に滅亡してしまいます。しかしルツ記では、自分たちの意志で大胆に行動した女性たちによって、イスラエルの王国の礎ができていく物語になっています。最終的には、女性の価値が「子供を産む」に結び付けられていると感じる方もいるかもしれません。確かにそうです。それでも、異邦人女性のルツがナオミにとって「7人の息子よりも勝る」と言われているなど、当時当たり前だったジェンダー観では、非常に先進的だと言える要素も無数にあります。

異邦人に対するヘイト―イエスの姿勢

ルツ記は、女性差別と共に、イスラエルによる「外国人差別」、つまり自分たちが神に選ばれた聖く正しい民で、他の民族は汚れて呪われた人たちだ、という非常に排外的な意識があった訳です。聖書内では、それが大前提とされ、神ご自身の考えだとされる箇所もあります(先ほどの申命記23:3など)。しかし、ルツ記をはじめ、この考え方に猛烈に抵抗している箇所も聖書の至るところにあります。これは、イエスの生涯を見ても顕著にあらわれています。最後に、イエスの生涯から3つのストーリーを見ていきたいと思います。

ルカ4:16-30

それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
「わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油を注がれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」
イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。

イエスはここでイザヤ61章を引用します。この箇所は、当時ローマの圧政に苦しんでいたユダヤの人々がよく解放を願って祈った箇所です。そして、彼らにとって大切なのは「我々の神の復讐の日を告げ」という箇所だったのです。憎きローマ人に対する復讐です。しかし、イエスはそこを省いて「このみことばが成就した」と言ったのです。聞いている人たちは「は?何も成就していないでしょ、まだローマの圧政に苦しんでいるし」と思ったことでしょう。

でも、イエスは「神の恵みの年」は、ある人たちを暴力的に懲らしめることで起きるのだとは考えていませんでした。イエスが、旧約時代にイスラエル人ではなく異邦人に神の祝福が注がれた話を2つほど持ち出すと、人々を憤ってイエスを殺そうとしたのです。それだけ、「外国人に対するヘイト」がイスラエル人の中に根深く染みついていたということです。

マタイ8:5-13

イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。

イエスはここで単純に百人隊長の信仰を称賛するだけでなく「イスラエルの中でも見たことがない」と言い、さらに来るべき世では異邦人が神の食卓につきイスラエル人が除外される、ということを言います。わざわざユダヤ人たちの熱狂的ナショナリズムを批判するような皮肉を言うのです。ここでも聞いていた人たちは憤慨したのではないでしょうか。

マタイ15:21-28

それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

最後のこの話では、イエスの発言の真意は分かりませんが、少なくとも聖書テキストでは、イエスがこの女性を拒絶します。しかし、この異邦人女性はキリストであるはずのイエスに対して、「神の恵みはそんなちっぽけなものではない!」と教えるのです。すごい話ですよね。異邦人女性が、救い主なる神の子イエスに神がどんなお方かを説く!そしてイエスがそれを受け入れて彼女の願いを聞き届け、その信仰を称賛する・・・なかなか組織神学に落とし込めないすごい話です。

最後に

これまで3週間見てきたように、聖書はさまざまな酷い差別が蔓延っていた時代に書かれていて、その差別を時代の流れに沿って肯定するような箇所もあれば、そこから脱却し、誰をも差別さず、自分たちの都合のために人を生贄にするような「社会的供犠」を行わない道に人々を導いている箇所もたくさんあることが分かります。私たちの使命は、そのような違いに敏感になって聖書を読むことです。そして、我々を新しい「神の国」の生き方に招く聖書箇所を中心に信仰を、そして信仰者としての実践を考え直していくことが求められているのではないでしょうか。

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